世に言う「大島紬」は奄美大島出身の永江伊栄温が明治の終わり頃、絣模様を括るのに紋紙を用いる「締機(しめばた)」を考案し鹿児島で織り出したのが始まりです。元来「先染(さきぞめ)」という糸を染めて柄を織る紬では絵模様を自由に織り出すことは至難を極めます。「大島紬」は「締機(しめばた)」の技法によって繊細巧緻な絵模様を織り出すことに成功し泥染(どろぞめ)独特の色合いと風合いも相まって「結城紬」と並び称される人気と評価を得ることが出来たのです。
 しかし高度の技法を駆使することで「大島紬」は高価にならざるを得ません。贅沢な趣味嗜好品として高い人気と評価を受けながらも一方では粗悪品が出回り他方「大島紬」の良さを「大島紬」らしさに求めようとするあまり「大島紬」は次第に型にはまった色柄に惰性化し本来の清新さを失いかけたのです。「大島紬」の沈滞に危機感を抱いた鹿児島の「関絹織物」の関健二郎さんは「大島紬」の染織技法を最大限に活かし色合い風合いの良さを保ちながら「大島紬」が本来求めて止まなかった自由自在さを取り戻そうと「創作織」に打ち込まれたのです。それは時代と言う名の着物愛好家の要請でもあったのです。

 関健二郎さんは、十月三十日(日)、三十一日(月)、十一月二日(水)、三日(木)の四日間、遠路鹿児島よりお越しくださいます。皆様のご来場を心よりお待ちいたしております。